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ケーススタディ
声を作ったのは文脈だった
『The Thaumaturge』には、非公式の日本語訳が二つある。同じ底本から、別々の哲学で組み上げられた二つの訳を、登場人物ごとに並べて読んでみた記録。
前提
ある言語モデルに、ゲーム一本ぶんの台詞を訳させる。三万行ある。そのとき、一行一行を口にしているのは「誰なのか」「いつのことか」「どんな話し方をする人物なのか」──こうした情報をモデルに渡すかどうかで、出力はどれくらい変わるのだろうか。
『The Thaumaturge』には、AIを使った非公式の日本語化MODが二つ存在する。先に出たほうは2024年公開で、英語版に手が出せなかった日本のプレイヤーがこのゲームを日本語で遊べるようになったのは、このMODのおかげだった。後発の一本は、こちらが個人で2026年に公開したもの。背景には「キャラクターごとの声のプロファイル」「逐次更新される用語集」「シーン単位の文脈」を翻訳のたびにモデルへ渡すパイプラインがある。底本は同じ英語版。そこから二つの異なる哲学で日本語に移された二本が、いま並んで存在している。これを、登場人物ごとに並べて読んでみたい。
先に断っておきたい。この記事は「後発が先発に勝った」という話ではない。先発のMODは、それまで日本語訳のなかったゲームに、最初の遊べる日本語版を届けた。それだけで十分に大きな仕事である。先発と後発が出るまでのあいだに、AI翻訳まわりの道具立ては大きく動いた。今回書きたいのは、その変化のなかで何が具体的に可能になったのか、その記録のほうだ。
39声のプロファイルを書いた登場人物
30,000その下で訳された台詞行
8本記事で取り上げる人物
声のプロファイルとは何か
名前のある登場人物39人について、一人ずつ「声のプロファイル」を書いた。台詞を一行訳す前に、モデルへ「これから話すのはこういう人物だ」と先回りで知らせておくための、小さな仕様書である。一人称、文末、語彙レジスター、プレイヤーへの呼びかけ方、性格を数行でまとめたもの、外国語タグとの距離感。これを毎回モデルに添えて渡すと、モデルは「いま誰が話そうとしているのか」を分かったうえで訳しはじめる。
実物を一枚だけ見ていただきたい。主人公ヴィクトルの妹リギアのプロファイルである。
Ligia Szulska — リギア・シュルスカ
- FIRST PERSON
- 私
- SENTENCE ENDINGS
- 〜よ / 〜わ (sparingly) / 〜のよ / 〜じゃない? (challenging) / 〜ね・〜よね。 ステレオタイプな「〜わよ」連発は避ける。
- REGISTER
- educated_feminine — 20世紀初頭ワルシャワ上流階級の教養ある女性
- ADDRESSING WIKTOR
- 兄さん(普段)/ ヴィクトル(衝突時)/ お兄様(皮肉まじりに改まって)
- PERSONALITY
- 兄に勝るとも劣らない聡明さ。社交的で機知に富み、時に辛辣。兄を大事に思いながらも、彼の優柔不断には容赦がない。
- NOTES
- たまにフランス語(
<fr>タグ)を交える。兄に対しては姉貴分として遠慮なくpush backする。
まず、こうした一枚を39人ぶん書く。だが、キャラクター・プロファイルは、パイプラインが台詞ごとにモデルへ渡す情報の四つの層のうちの一つにすぎない。残る三層も、それぞれ同じくらい効いている。
-
世界観のプロファイル。1905年、ロシア統治下のワルシャワ。原文にはポーランド語/ロシア語/フランス語/ドイツ語/ラテン語/イディッシュ語が同時に生きていて、分割統治期の政治的な緊張も背景に流れている。語彙には、それらしい時代色が求められる──そうした「世界の側」の情報をまとめた一枚。これがあるから、墓碑には「1891年」ではなく「一八九一年」と旧字数字を刻めるし、1905年の紳士の収納家具を「ワードローブ」ではなく「衣装箪笥」と書けるし、当時の製鉄業の現場で働く者を「鉄鋼労働者」ではなく「製鉄工」と呼べる。世界観のプロファイルが抜け落ちると、モデルは現代の平らな日本語に流れていき、世界の手触りが1905年から離れてしまう。
-
逐次更新される用語集。「魔術師」と「ソーマタージ」と「神秘術師」のあいだで、三万行のあいだ訳語が揺れないように。bibułaというアイテムが現れたら毎回「地下出版物(ビブワ)」と訳され、ある場面では「パンフレット」、別の場面では「印刷物」と暴れたりしないように。新しい訳語が確定するたびに用語集が更新され、以後の翻訳のたびにモデルへ渡される。
-
シーン単位の文脈。誰がその場にいて、直前に何が起きたか、話している側がいま相手から何を引き出そうとしているのか。これがあるからこそ、スカロンは警察署では警察モード(儂+貴様)に入り、舞踏会では社交モード(私)に切り替えられる。同じ人物、別のシーン、それぞれの場にふさわしい声。
-
過去のシーンで各人物がどう喋ってきたかの蓄積。第3幕に入ったとたんにヴィクトルの「僕」が「私」に化けてしまわないように、ワンダの〜じゃないかという結び方が物語の最後まで保たれるように。
この四層のどれ一つとして、英語のソース文字列そのものには書かれていない。それでも、訳文の手触りはすべて、この四層から生まれている。本記事はキャラクター・プロファイルを前面に置いて話を進める。一行ごとの差として、いちばん目に見えやすいのがそこだからだ。とはいえ、その後ろでは世界観のプロファイルも同じだけの仕事をしている。記事の末尾に置いた「台詞の外」のセクションで並べる例は、そのほとんどが「キャラクターの声」ではなく「世界観の手触り」のほうから生まれた差である。
ここから先は、その仕組みが具体的にどう効いたのかを、人物単位で並べて見ていく。一人ずつ、まずプロファイルを文章で要約し、続いて4〜5本の比較──英語ソース、先発MODの訳、本MODの訳──を並べる。差は、見ればわかる。
ヴィクトル ── 一人称が決める距離感
本作の主人公ヴィクトル。20代後半、学究肌で皮肉屋の若き神秘術師。プロファイルで決めたのは「一人称は僕。俺でも私でもない」「文末はだ調、平叙で閉じる」「内省に沈みがちで、独白が多い」。一人称の指定がここまで効くのは、何もプロファイルを与えずに訳させると、モデルが反射的に「私」を選んでしまうからだ。「私」は性別をぼかし、距離をひとつ置いた中立の人称である。それを当てた瞬間、ヴィクトルは「自分のことを丁寧に語る見知らぬ誰か」になってしまう。「僕」と書けば、彼ははじめて「特定の家柄を持ち、特定の性別を持ち、特定の口調で喋る、ある一人の若い男」として立ち上がる。
「私」のままでは見過ごされていた、深刻な取り違え
まず、収集した全データのなかで一行ぶんとして最も重い例を見ていただきたい。
EN: Wait, wait… I think he's the one who ripped me off yesterday…
JP (Prev): 待って、待って...昨日私を犯したのは彼だと思う...
JP (New): 待て、待て……あいつ、昨日僕から金をふんだくったやつじゃないか……
英語の"ripped me off"は「カモにされた」「金を巻き上げられた」という意味の口語慣用句である。ところが、"ripped"の語を字義どおりに取ると、「引き裂く」のような暴力的な動作の含みも出てくる。話者の情報なしにこの一行を訳させたとき、モデルが拾ってしまったのは、まさにその字義のほうだった。結果、選ばれたのが「犯した」。日本語で「犯した」と書けば、ほぼ一義に性的暴行を指す。男性であるヴィクトルが、別の男性に対して「昨日、自分は犯された」と訴える文に化けてしまっていた、というわけだ。ここを直接救ったのは、プロファイルそのものというよりも、その周辺の仕組みのほうだった。「いま誰が話していて」「どんな場面で」「彼はどんな口調で喋る人物か(待って→待て、私→僕)」をモデルに渡しておいたこと。それだけ揃って初めて、モデルは慣用句の取り違えを避けられる。声のプロファイルは「文体を整える飾り」では終わらない。意味そのものを救う場面が、たしかにある。
家族写真を見つめる独白
EN: Our family portrait… I can remember when it was taken. The year was 1884, and Ligia and I were nine years old at the time.
JP (Prev): 私たちの家族写真…いつ撮ったか覚えています。1884年で、当時リギアと私は9歳でした。
JP (New): 我が家の家族写真……いつ撮られたものか覚えている。1884年、リギアと僕は九つの頃だった。
写真の前に立った男が、声に出さず胸の内だけで呟くような長めの独白。「9歳でした」は文法的には正しい日本語だが、どうしても学校の作文の手触りを抜け出せない。「九つの頃だった」と書いた瞬間に、ようやく「一人の男が思い出している」音になる。「私たち」→「我が家」もそうだし、〜です調から〜のだへ、段落全体で文末を揃えたのもそうだ。段落のあいだ、声が崩れずに通る──その一貫性そのものを保つことが、実はひとつの作業なのである。
政治的決めつけへの応酬
EN: How can you be sure that I am not a socialist? Socialist ideals are close to my heart.
JP (Prev): 私が社会主義者でないとどうして断言できるのですか?社会主義の理想は私の心の奥深くにあります。
JP (New): 僕が社会主義者じゃないと、なぜ言い切れる?社会主義の理想は僕の心に近いものだ。
ヴィクトルが、決めつけてくる相手に向かって反論している場面。「断言できるのですか」も内容上は反論だが、声の高さとしては「目上に向かって精一杯食ってかかっている若者」の調子になってしまう。「なぜ言い切れる」と書けば、声の位置が一気に対等の高さまで上がる。この場のヴィクトルは、相手に敬語を使うべき立場にはいない。プロファイルがそれを知っている。彼はテーブル越しに、見上げるのではなく、まっすぐ言い返している。
特に劇的なところのない、普通の一行
EN: I don't think so. I think he also wants me to follow him.
JP (Prev): そうは思いません。彼も私について来てほしいと思っていると思います。
JP (New): そうじゃないと思う。彼は僕にも、後をついてきてほしいんだ。
この一行には特にドラマはない。私→僕の置き換えと、〜と思っていると思います→〜んだという、ごく小さな組み替え。それだけだ。だが、この「ごく小さなこと」が三万行のあいだ繰り返されると、最後にプレイヤーの手元に残る印象は別物になる。「ヴィクトルという一人の人間が話している」のか、「翻訳された文字列が画面を流れていく」だけなのか──その分かれ目に、こうした地味な置き換えの積み重ねが効いてくる。
一行のなかに一人称が三度立ち上がる場面
EN: Lie to you? Me?! Would I ever lie to you?
JP (Prev): あなたに嘘をつくの?私に?!私があなたに嘘をつくことある?
JP (New): 君に嘘を?僕が?僕が君に嘘なんかつくと思うのか?
一行のなかに一人称が三回顔を出している。その三つがそろって動き、二人称も「あなた」から「君」へと距離を縮め、最後には文全体のリズムまで組み直される。プロファイルの効果は単発で出るというより、こうして次々と連鎖して出てくる。
リギア ── 台詞が立ち上がっている関係性
ヴィクトルの妹。聡明で機知に富む、20世紀初頭のワルシャワ上流階級の教養ある女性。会話のなかにフランス語をふと挟む。プロファイルで決めたのは「一人称は私」「〜よ・〜わは控えめに使う(ステレオタイプな〜わよ連発はしない)」、そして何より「ヴィクトルへの呼びかけ方」──普段は兄さん、ぶつかるときはヴィクトルと呼び捨てに、皮肉まじりに改まるときはお兄様。最後の項目があるかないかで、彼女が兄に向かって発する台詞のすべての響きが変わってしまう。
「あなた」から「兄さん」へ
EN: I meant the people who stand in your way.
JP (Prev): あなたの邪魔をする人たちのことを言っています。
JP (New): 私は、兄さんの行く手を阻む人たちのことを言ったのよ。
話し手と聞き手の関係を分かったうえで訳すと何が変わるのか、もっとも素直に表れる一例である。英語のyouがあるだけ、という出発点は両者で同じ。プロファイルを使った側は「相手は兄である」と知っているから、「あなた」を「兄さん」と置き換えられる。プロファイルなしの側にはその動きが取れない。ソース文字列のどこを読んでも「これは妹が兄に向けて話している」とは一文字も書かれていないからだ。さらに「邪魔」を「行く手を阻む」と少し文語のほうへ押し上げ、文末の〜のよが感情を一拍ぶん残してくれる。
文の構造そのものが、日本語の呼吸に組み直される
EN: God knows how I feared for you.
JP (Prev): 私がどれだけあなたのことを心配していたかを神は知っています。
JP (New): 神様だけがご存知よ、私がどれほど兄さんのことを心配したか。
これは語彙の置き換えでは説明できない。文の組み立てそのものが入れ替わっている。英語、そしてその直訳である上の段は、従属節を先に置く英文の語順をそのまま日本語に写している。プロファイルを使った側は、感情の核(「神様だけがご存知よ」)を文頭に出し、その後ろに「私がどれほど兄さんのことを心配したか」を回して補っている。声を意識して訳すという仕事は、語彙のレベルでは終わらない。最後には文の組み立てそのものに手を入れることになる。
妹の声で書かれる感謝
EN: I'm glad you're helping the University. It means a lot to me.
JP (Prev): あなたが大学を助けてくださって嬉しいです。私にとってとても嬉しいです。
JP (New): 兄さんが大学を助けてくれて嬉しい。私にとって大事なことなのよ。
中身は同じで、レジスターだけが違う。「とても嬉しいです」は文法としては正しいのだが、丁寧形がそのまま二度続いてしまうため、どこか他人行儀な硬さが残る。「私にとって大事なことなのよ」と書くと、〜のよが文末で感情をきちんと引き受け、はじめて「妹が兄に向かって本気で言っている」声になる。上の段は赤の他人どうしの礼の交換にしか聞こえない。下の段ではじめて、ずっと一緒に育った妹が、ずっと一緒に育った兄に礼を言っている響きになる。
妹の心配
EN: I care about your safety more than anything else.
JP (Prev): 私は何よりもあなたの安全を心配しています。
JP (New): 私は何より、兄さんの安全を大切に思ってるのよ。
短く、要素も少ない一行。だが、〜のよが文末で果たしているこの仕事を、〜ますでは引き受けられない。「心配しています」は状態の報告。「大切に思ってるのよ」のほうは、意思を相手に差し出す言い方である。
教養はあるが、お行儀よくはない
EN: Ever since I got back, Konechkin has been watching me or meddling with my business.
JP (Prev): 私が戻って以来、コネチキンは私を監視したり、私の事に干渉したりしています。
JP (New): 私が戻ってきてからずっと、コネチキンは私を見張ったり、私の仕事に首を突っ込んだりしているのよ。
教養があるからといって、リギアは「干渉する」とは口にしない。「干渉する」は役所の文書のような硬さの語で、彼女の声には合わない。「首を突っ込む」と書いて初めて、上の段でならされてしまっていた闊達さが日本語のほうに戻ってくる。プロファイルが伝えていたのは「教養があり、なおかつ威勢のいい性格」だ。これを知らずに訳すと、文は自然と事務文書の側へ引き寄せられてしまう。
ラスプーチン ── 台詞が呪文に変わる
神秘主義者で、家父長的・古風なロシアの修道僧。プロファイルで決めたのは「一人称は儂。場面によっては高雅な我も使ってよい」「文末は〜のじゃ/〜であろう」「相手の呼びかけはお前/我が子よ」「リズムは聖書のようなもの」。語彙は「罪なき者」「救うた」「施す」など、時代と宗教の両方に寄せた古語を選んでいる。今回取り上げる8人のなかでも、一行ごとの差がもっとも大きく開く人物である。理由は単純で、ラスプーチンにとって声そのものが仕事だからだ。彼を現代の素直な丁寧形で訳すと、病院の受付の声になってしまう。〜のじゃ/おるで訳すと、三行で人を呪縛できる声になる。
一節のなかに三つの古風が同時に立ち上がる
EN: I meant I don't know if I'm able to help you. My gift is something I've received from God. Some I have helped, others, I can't say…
JP (Prev): 私があなたを助けることができるかどうかは分かりません。私の才能は神から受け継いだものです。
JP (New): 儂が言うたのは、お前を救えるかどうか分からぬということじゃ。儂の力は神より授かったもの。救えた者もおれば、そうでなかった者もおる……
儂、言うた(古い過去形)、分からぬ、じゃ、おる──これだけの古風な要素が、一節のなかに同時に並ぶ。今回集めた例のなかで、一行ぶんの差がもっとも鋭く開いた箇所である。伝えている情報の量は、上下とも変わらない。だが、その情報を口にしている人物が、完全に別人になってしまっている。
催眠の言葉が、催眠の言葉として響くこと
EN: Focus on my voice… You are safe. As long as you can hear my voice, you are safe.
JP (Prev): 私の声に集中してください…あなたは安全です。
JP (New): 儂の声に意識を向けるのじゃ……お前は安全じゃ。儂の声が聞こえている限り、お前は守られておる。
これはラスプーチンが本職をしている場面、つまり患者に施す催眠術の場面である。〜のじゃ/〜じゃ/おるが繰り返し打たれることで、台詞そのものが文字どおりの呪文として響く。上の段の〜です調で読むと、それは病院の受付の落ち着いた声にしか聞こえない。声のプロファイルが線を引いているのは、「ラスプーチンの神秘力」と「丁寧な病院スタッフ」のあいだのその境目である。
説教の調子で断る
EN: Give it to the needy — your riches mean nothing to me.
JP (Prev): それを困っている人に与えなさい。あなたの富は私にとって何の意味もありません。
JP (New): それは貧しき者に施すがよい。お前の富など、儂には何の意味もないのじゃ。
語尾だけでなく、語彙そのものが入れ替わっている。「困っている人」が「貧しき者」へ(聖書のような古語)、「与えなさい」が「施すがよい」へ(古い動詞「施す」に、許容の「がよい」を添える形)。「金持ちが差し出した金を断る」という同じ仕草が、別の世紀の日本語で書き分けられている。
列挙のあいだじゅう、語彙が時代の側に揃いつづける
EN: Even without my powers, I can tell that hope is bringing people here from all three Partitions. Miners, steelworkers, governesses, maids, speculators, thieves…
JP (Prev): 私の力がなくても、希望が3つの分割から人々をここに連れてきていることがわかります。鉱夫、鉄鋼労働者、家庭教師、メイド、投機家、泥棒…
JP (New): 我の力を借りずとも分かる。三分割地のすべてから、希望が人々をここへ運んでおるのじゃ。鉱夫、製鉄工、家庭教師、女中、相場師、盗人……
列挙される名詞が並ぶあいだじゅう、語彙が時代の側に揃ったまま動いていく。「鉄鋼労働者」→「製鉄工」、「メイド」→「女中」、「投機家」→「相場師」。一人称の置き換えだけでは終わらない。語彙そのものが1905年の側に張りついている。これは、モデルが「いま自分はラスプーチンの声を書いているのだ」と分かっているからこそ起きる動きである。なお、ここでは儂ではなく我が選ばれている。ラスプーチンは「祖父のような語り」と「聖書のような高雅な語り」のあいだを行き来する人物で、プロファイルは最初からその両方を許している。これは揺れではなく、意図的な使い分けだ。
聖書めいた断言
EN: But I'm sure we saved an innocent soul because God is with me. I have the power to heal.
JP (Prev): しかし、神が私と共におられるので、私たちは罪のない魂を救えたと確信しています。私には癒す力があります。
JP (New): だが我は確信しておる。罪なき魂を救うたのだとな。神は我と共におられる。我には癒しの力がある。
高雅な「我」を据え、「救うた」(古い過去形)と「罪なき」(文語の限定)で文を組む。短く、聖書のような呼吸。ラスプーチン節を締めくくる一行にふさわしい。
ワンダ ── 階級は終助詞に宿る
屋敷の使用人として長年勤めてきた女性。ヴィクトルとリギアを幼い頃から知っており、ときに第三の親のように二人を叱る。プロファイルは「一人称はあたし」「親しみを込めるときは坊ちゃん」「文末は〜さ/〜じゃないか/〜ってばが基本」「ぶっきらぼうだが温かい、下町ふうの口調」。彼女の台詞を二つの訳で並べてみると、日本語における階級の手触りが、内容のほうではなく、ほとんど終助詞のところに宿っていることがはっきり見える。
圧政が崩れていく音と、ふたりだけの「デート」
EN: With pleasure. Just us and the sounds of a crumbling tyranny would be the perfect date.
JP (Prev): 喜んで。私とあなたと、圧制が崩れる音。完璧なトライストのようですね。
JP (New): 喜んでね。あたしらと、崩れ落ちる暴政の音だけ。完璧なデートじゃないか。
「トライスト」は英語の"tryst"をそのままカタカナに写したもので、現代日本語ではまず誰も使わない単語である。下の段はそこを「デート」に置き換え、文末の〜じゃないかに下町の温かさを担わせている。さらに「私とあなた」を口語の縮約形「あたしら」に直している。「ぎこちない外来語をならす」という動きと、「階級レジスターを終助詞で組み立て直す」という別の動きが、一行のなかで同時に起きている。
八文字で階級がそっくり入れ替わる
EN: Keep your hands away from me.
JP (Prev): 私から手を離してください。
JP (New): あたしに触らないでおくれ。
「〜ください」は標準的で、距離を置いた丁寧形。「〜でおくれ」は時代がかった下町の口調で、長く家に仕えてきた年上の女性が、子供の頃から知っている相手に「やめておくれよ」と諌めるような声に立つ。たった八文字の置き換えで、話している人物の階級そのものが入れ替わってしまう。
学生運動家を一蹴する、生活の重み
EN: It's not my fault you're playing revolution here. That play comes at a price.
JP (Prev): あなたがここで革命を演じているのは私のせいではありません。このような楽しみには代償が伴います。
JP (New): あんたたちがここで革命ごっこしてるのは、あたしのせいじゃないよ。お遊びには代償がつきもんさ。
「革命を演じている」を「革命ごっこしてる」へ。子供の遊びにつく「ごっこ」を当てた瞬間、容赦のない皮肉がそこに乗る。「楽しみ」を「お遊び」、「伴います」を「つきもんさ」に。学生運動家たちを諭す場面なのに、上の段は契約書の一節のように聞こえる。下の段ではじめて、「若い男が政治ごっこに走るのを、もう何度も見てきたおばさん」の声になる。
語の置き換えではなく、文の組み立て直し
EN: I would prefer that you lose all interest in me and my evening plans.
JP (Prev): 私の好みは、あなたが私や私の夜に興味を持たないことです。
JP (New): あんたには、あたしや今夜の予定への興味を全部失ってもらいたいんだけどね。
上の段は、英語の構文をほぼそのまま日本語に写している。「私の好みは…ことです」というかたちは、"What I'd like is for you to..."の構造をなぞっただけのものだ。下の段は、これを日本語の自然な「含みのある依頼」のかたちに組み直している(「〜してもらいたいんだけどね」)。語のレベルでは起きていない置き換え。文の組み立てそのものを掴み直したから出てきた一行である。
ワンダは下手に出ていない、有能なだけだ
EN: I'll gladly sort them out myself.
JP (Prev): 私自身で喜んで整理させていただきます。
JP (New): そいつらの始末は、あたしが喜んでつけてやるさ。
「整理させていただきます」は、店員が客に向かって低姿勢で申し出るときの言い方だ。「始末はつけてやるさ」のほうは、難しい仕事をきっちりやれる側の人間が、それをやれると相手に伝える言い方になっている。ワンダは下手に出る人ではない。やるべきことができる人なのである。プロファイルはそれを知っている。
サミラ夫人 ── 親密さは、形式を裏切らずに立つ
サロンの女主人。客の心の動きをすべて見透かしてしまう、優雅と計算とを同時に備えた人物。プロファイルは「一人称はわたくし」「文末は〜ですわ/〜かしら/〜でしょう」「ヴィクトルへの呼びかけはヴィクトル様もしくはあなた(親密だが距離のある呼び方)」「フランス語を頻繁に挟む(原文の<fr>タグはラテン文字のまま保持し、カタカナに音写しない)」「very_formal_feminineレジスター」。彼女の声がおもしろいのは、日本語の親密さが、改まった形式を壊して立つのではなく、改まった形式を保ったままその内側で立ち上がりうる──そのことをきれいに見せてくれるからだ。サロンの女主人は、〜ですわのまま媚びる。
一行のなかに三つの声の指紋が並ぶ
EN: Will you tell me my fortune, <fr>madame</>?
JP (Prev): 私の運勢を占っていただけますか?、<fr>マダム</>?
JP (New): わたくしの運命を占ってくださるかしら、<fr>madame</>?
わたくし、かしら、そしてフランス語タグの保持──三つの指紋が一行のなかに並ぶ。<fr>タグは、ゲームエンジン側で「外国語の単語を、その外国語のまま見せる」ためのものだ。ラテン文字のまま残しておくのが本来の使い方になる。上の段は中身を「マダム」とカタカナに直してしまっていて、タグが事務的な空殻として残っているだけになっている。下の段は中身もラテン文字のまま残し、サロン文化の手触りをそのまま日本語の側に持ち込んでいる。
百科事典ではなく、含みのある女主人として書く
EN: <fr>Madame</> Samira can see more than others. She's the one who made Sara realize her thaumaturgist nature.
JP (Prev): マダム・サミラは他の人よりも多くのものを見ています。サラに自分の奇跡論的な性質を気づかせるのは彼女です。
JP (New): <fr>Madame</>サミラは、他の人より多くを見通せましたの。彼女がサラに自分のソーマタージとしての本性を気づかせたのですわ。
「奇跡論的な性質」は、"thaumaturgic nature"を「奇跡+論的+性質」と分けて訳した結果として出てきた語で、日本語としてはほとんど意味が立たない。「ソーマタージとしての本性」と置き換えれば、ゲーム内で定着している術語をそのまま使いながら、より自然な「本性」で受けられる。文末の〜のですわが、最後にもう一拍ぶんの含みを残す。上の段は百科事典の項目の一文のような響き。下の段は、含みを持たせた女主人が打ち明け話をふと漏らしたような声になる。
サロンの作法のままで、迷いを差し出す
EN: And it's not easy for me, but… I think I would trust him.
JP (Prev): それは私にとってそう簡単なことではありませんが...私は彼を信頼すると思います。
JP (New): そして、わたくしには容易ではないけれど……あの方なら信じられそうですわ。
「彼」が「あの方」へ(サロンの礼節にふさわしい三人称)、「信頼すると思います」が「信じられそうですわ」へ(親密で、迷いを少し残した〜ですわ)。ここでの親密さは「形式を崩すこと」によってではなく、「形式の内側で、やわらかいほうの音を選ぶこと」によって立っている。
客を、女主人の作法でやんわり叱る
EN: You're the one who doesn't trust me.
JP (Prev): まだ私を信用していないのはあなたです。
JP (New): わたくしを信用しておられないのは、あなたの方ですわ。
文の構造はほぼ同じ。それでも、「わたくし」「〜ておられない」「〜ですわ」という三つの声の指紋が一行に並ぶと、音は別物になる。上の段は「対等な相手が押し返している」声に聞こえる。下の段は「女主人が、礼節の枠の内側で、客をやんわり訂正している」声になっている。
驚きすら、サロンの様式で立ち上がる
EN: <fr>Madame</> Samira, what a surprise!
JP (Prev): <fr>マダム</>サミラ、驚きました!
JP (New): <fr>Madame</>サミラ、なんという驚きでしょう!
「驚きました」は、過去形でとりあえず驚きを示しただけの言い方。「なんという驚きでしょう」のほうは、サロンの作法に乗った演劇的な感嘆である。さらに<fr>Madame</>がラテン文字のまま残っている。短い一文ながら、サミラ節を締めるのにちょうどよく効く。
スカロン ── 威圧する警察の声
帝政ロシア側の冷酷な警察長官。プロファイルは「一人称は俺と儂を場面で使い分ける(公式の社交場では俺、部下や民間人を威圧する場面では儂)」「民間人への呼びかけは貴様」「命令形には常に侮蔑の角度を残す」。彼の場合、プロファイルが「キャラクターの内側での声の揺れ」をあえて許容している。社交の場では「私」、警察モードに入った瞬間に「儂+貴様+荒い命令形」へ。これは矛盾ではない。制服を着ている時の自分と、それを脱いだ時の自分を、現実の警察官が使い分けるのと同じ仕組みだ。
五文字でレジスター全体が崩れる
EN: Then get out of my sight.
JP (Prev): じゃあ私の前から消えてくれ。
JP (New): なら、儂の前から消えろ。
「私の前から消えてくれ」は丁寧形の命令で、くたびれた事務員の声に近い。「儂の前から消えろ」と書けば、剥き出しの命令になる。差は五文字。それだけでレジスターは別物になる。
短い一行に、声の指紋が四つ立つ
EN: What do you want? You're supposed to keep order, not bother me.
JP (Prev): 何がしたいの?秩序を保って、私に迷惑をかけないで。
JP (New): 何用だ?貴様は秩序を守るのが仕事だろう、儂を煩わせるな。
何用だ、貴様、儂、煩わせるな──これだけの威圧の指紋が、短い一行のなかに同時に並ぶ。上の段は弱い命令形でなんとか体裁を保っている響きだ。下の段は、はっきりと「足音を立てる」声になる。
パーティーの席で吐かれる、階級への侮蔑
EN: Yes, as we all are. It's just that some are indispensable for the tsardom, and others, like you, act as a backdrop at parties.
JP (Prev): はい、私たち全員がそうです。ただ、中にはツァーリ国家に欠かせない人もいれば、あなたのようにパーティーの背景として機能している人もいます。
JP (New): そうだな、皆そうだ。ただ、ある者は皇帝にとって不可欠であり、貴様のような他の者は宴の背景でしかない、いうだけのことだ。
パーティーの席で同席している相手に「貴様」を投げつけるのは、日本語ではれっきとした侮辱に当たる。英語のyouで均されてしまっていた侮蔑が、ここではっきり戻ってくる。「機能している」(事務的)が「背景でしかない」(突き放す)に変わる。中身は同じ。話している人物が、別人になっている。
組織の言葉で報告する
EN: I understand… The situation is under control — my best men are keeping you safe.
JP (Prev): 分かりました。…状況は制御されています。私の最高の部下があなたを安全に守っています。
JP (New): 理解した。…状況は掌握している。儂の精鋭が貴様らの安全を守っている。
「最高の部下」が「精鋭」へ(軍事と時代の両方を含む語彙)。「制御されています」が「掌握している」へ(現場の指揮官が実際に使う動詞)。組織のなかで一定の階級を背負った人間が、職務上の報告で口にする種類の語彙だ。プロファイルがその「階級」を知っているからこそ、自然にそちらの語彙へ手が伸びる。
娘の話をするときでも、声の荒さは崩れない
EN: Their magic hurt my daughter, but not only her. Let's leave it.
JP (Prev): 彼らの魔法は私の娘を傷つけましたが、…そのままにしておきましょう。
JP (New): 奴らの魔法は儂の娘を傷つけた。それだけではない。だがこの話はやめておこう。
スカロンが負傷した娘について語る場面でも、奴ら/儂の娘/〜だの硬さは崩れない。それでいて、内側に抱えている感情の重みは消えない。上の段では丁寧形が前面に出てしまい、本来は「かろうじて抑え込んでいる怒り」であるはずのものが、するりと丸まって聞こえてしまう。
ラザレフ ── 同じ制服、まったく別の声
冷徹な諜報の長。スカロンと同じく帝政ロシア側の組織人なのだが、プロファイルが与えている声はまったくの別物である。「一人称は私と儂を使い分ける」「文末の否定は古い〜ぬ形」「相手への呼びかけは貴様」「断定は〜である調」「全体としては、オフラーナ(帝政ロシアの秘密警察)のベテラン工作員らしい、古風で改まった調子」。決め手になるのは、ラスプーチンへの神秘的な忠誠だ。彼はラスプーチンを「彼」とは呼ばない。常に「あの方」と呼ぶ。同じ帝政ロシアの組織人でありながら、スカロンとラザレフはまったく別の声で立ち上がる。プロファイルがモデルに対して、「一方は制服を着た荒くれ者、もう一方は制服を着た狂信的な司祭である」と伝えているからだ。
高揚した威嚇 ── 裁きの剣の狂信者か、薄給の事務員か
EN: Rasputin will never forgive you. And when he returns, he will reward me for bringing you to justice. For I am his hammer that crushes witches!
JP (Prev): ラスプーチンはあなたを決して許さないでしょう。…なぜなら私は魔女を打ち倒す彼のハンマーだからです!
JP (New): ラスプーチンは決して貴様を赦さぬ。…私こそ、魔女どもを打ち砕く、あの方の鎚なのだからな!
「許さないでしょう」が「赦さぬ」へ(古い否定形に加え、宗教的な「赦し」を含む漢字「赦」を選ぶ)。「彼の」が「あの方の」へ(ラザレフがラスプーチンに対して用いる、神秘めいた敬称の三人称)。「ハンマー」が「鎚(つち)」へ(聖書の「裁きの鎚」を思わせる漢字)。下の段のラザレフは「裁きの剣を振るう狂信者」の声で立ち上がる。上の段のラザレフは「薄給の事務員が原稿を読み上げている」響きで止まってしまう。
語ひとつで、レジスター全体が動く
EN: I did what I did. It needed to be done…
JP (Prev): 私はやるべきことをやった。やらなければならなかったことだ…
JP (New): 私はやるべきことをやった。せねばならんかったのだ……
「やらなければならなかった」(現代のなだらかな言い回し)と、「せねばならんかった」(古めかしい、軍人めいた言い回し)。差はこの助動詞句ひとつ。それでも、文の手触りはまるで別物になる。
献身に裏打ちされた諦念
EN: It's not for me to guess his intentions.
JP (Prev): 彼の意図を推測するのは私の仕事ではありません。
JP (New): あの方の意図を推し量るのは、私の役目ではない。
「彼の」が「あの方の」へ(ラザレフがラスプーチンに用いる敬称の指示)。「推測する」が「推し量る」へ(もう少し慎重で、思索の含みがある動詞)。「仕事」が「役目」へ(時代がかった「果たすべき任」のニュアンス)。ラザレフはラスプーチンに「献身している」のであって、上の段のように「自分の職務範囲を述べている事務員」ではない。プロファイルはそれを知っている。
自然な日本語慣用句に手を伸ばす
EN: What am I, blind? I can see he's a magician, but he's not the one.
JP (Prev): 私は何、盲目なの?彼が魔術師なのはわかる、でも、彼は魔術師じゃない。
JP (New): 私の目が節穴だとでも?魔術師なのは見ればわかる。だがこの男は探していた相手ではない。
「節穴」は、「人を目の見えない者のように扱っているのか」という非難を表す、日本語に根付いた慣用句である(直訳すれば「私の目は穴の空いた板か?」)。英語の修辞疑問"Am I blind?"を日本語に落とすとき、自然に手が伸びる定番のひとつだ。上の段の「私は何、盲目なの?」は、英語構文をそのまま日本語に置き換えただけで、ひとつの台詞としては立ちにくい。下の段は、慣用句に手を伸ばすことで、文をひとつの日本語の発話として成立させている。
三つの平叙が、緩衝なしに連続する
EN: There are no coincidences in Rasputin's plan. I was looking for you, and I found you.
JP (Prev): ラスプーチンの計画には偶然などありません。私はあなたを探していました。そしてあなたを見つけました。
JP (New): ラスプーチンの計画に偶然などない。私はお前を探していた。そして見つけた。
短く、断定で、緩衝にあたる助詞が一つもない。三つの文、三つの平叙。上の段は丁寧形の過去〜ましたが続いてしまうため、本来あるはずの威圧が「丁寧な過去報告」のように丸まってしまう。下の段は〜だった/〜たで揃え、文の重さを保ったまま閉じる。ラザレフの締めの一行に、ぴたりと収まる。
スカロンとラザレフの対比は、声のプロファイルが「数を重ねたとき」に何をしてくれているのかを、この記事のなかでもっとも端的に示してくれる例である。同じ帝政ロシアの制服を着て、同じ国家機構に仕えている二人が、まったく別の声で立つ。プロファイルがモデルに「スカロンは制服を着た荒くれ者だ」「ラザレフは制服を着た狂信者だ」と伝えているからこそ、ここまで開く。プロファイルがなければ、二人とも「中年のロシア人役人、丁寧な口調」のあたりに均されてしまう。物語のうえでもっとも記憶に残る対比のひとつが、声のうえでは消えてしまう。
スタニスワフ ── 「父」を「父祖の系譜」として書く
ヴィクトルの父。プロファイルは「帝政期めいた、古く改まった調子」「息子への呼びかけはお前」「否定は古い〜ぬ形」「断定は〜のだ/〜である」。プロファイルが効いた瞬間、スタニスワフは「現代の父親」ではなくなり、「父祖の系譜を背負った旧家のポーランド貴族」として立ち上がる。声の重みが、一代では終わらない長さを持ちはじめる。
冷たい父、自分の世継ぎを叱責する
EN: You've never grasped the science of spotting the perfectly obvious. Can you still not see?!
JP (Prev): あなたは、明らかなものを見分ける科学を一度も理解したことがありません。まだ見えないのですか?
JP (New): 明々白々のものを見抜く術を、お前は遂に身に付けなんだ。今もまだ見えぬのか!
「明らかなもの」が「明々白々のもの」へ(時代がかった改まり)。「科学」が「術」へ(近代西洋の含みを避ける──ここでの英語"science"は「ある分野の修練」の意味で使われている)。「理解したことがありません」が「身に付けなんだ」へ(古い〜なんだの結び)。「見えないのですか」が「見えぬのか」へ(古い否定)。上の段は丁寧で距離のある家庭教師の声に聞こえる。下の段は、「世継ぎに失望した父祖」の声に立ち上がる。
古い侮辱語のほうが、ずっと重く落ちる
EN: You'll lose, idiot! You always do. You're even losing against yourself.
JP (Prev): 負けるよ、バカ!いつもそうだ。自分自身にも負けている。
JP (New): お前は負けるのだ、愚か者め!いつもそうだ。己自身にすら負けておる。
「バカ!」(現代の砕けた罵倒)と、「愚か者め!」(古めかしく、ずっと重い罵倒)。「自分自身」が「己自身」へ(古い再帰)。「負けている」が「負けておる」へ(古い継続形)。同じ詰り方を、別の世紀の日本語で書き直している。
文末ひとつで、文の重みが変わる
EN: …You have so many Flaws already — what use do you have for one more?
JP (Prev): …あなたにはすでに欠点がたくさんあるのに、さらに欠点を一つ増やす意味がどこにあるというのですか?
JP (New): …お前にはすでに数多の「欠点」がある。これ以上、何の役に立つというのだ?
「たくさんある」が「数多の」へ(文語ふうの数量詞)。「〜のですか」が「〜のだ」へ(断定の結び)。父は問いを発しているのではない。判決を下している。文末ひとつで、文の感情の重さが完全に動いてしまう一例である。〜のですかは問いを開き、〜のだは閉じて押す。
「父親のやり方」と「父の道」のあいだ
EN: Then you reject what was meant for you. You reject your father's way.
JP (Prev): そして、あなたは自分のために定められたことを拒絶するのです。父親のやり方を拒絶するのです。
JP (New): ならばお前は、お前のために定められたものを拒む。父の道を拒むのだ。
「父親のやり方」(現代の親子関係を指す言い回しで、「うちの父さんのやり方」に近い手触り)が、「父の道」へ。後者には、儒教的な「父の道、子はこれを継ぐ」を思わせる、世代を貫いていく重みがある。ここで父が語っているのは「俺の家のやり方」ではない。「父祖の道そのもの」である。プロファイルが、その差を支えている。
一行の罵倒に、古風が三つ重なる
EN: You can't see, but can you at least hear? You're weak, stupid, and blind!
JP (Prev): 君は見えないけど、少なくとも聞こえるかい?君は弱いし、愚かだし、盲目なんだ!
JP (New): 見えぬのなら、せめて聞こえるか?お前は弱く、愚かで、目が見えぬのだ!
お前/〜ぬ/〜のだ──三つの古風が、一行のなかに同時に並ぶ詰り方。声の指紋が立て続けに刻まれる、節中でもっとも鋭い一行のひとつである。
台詞の外でも、同じ仕組みが効いていた
ここまでは登場人物ごとの話だった。だが、同じ仕組みが効いたのは台詞だけではない。アビリティの説明、ゲーム内の文書、コーデックスの記述、アイテム説明、実績名。それ以外のテキストにも、同じパイプラインがそのまま流れている。全体像が見えるように、カテゴリーを一つずつ、短い例で並べていく。
アビリティ名 ── 語義の取り違えを救う、ヴィクトルの一行と同じ仕組み
EN: Stunning Combo
JP (Prev): 素晴らしいコンボ
JP (New): 失神連撃
この技名のなかの"stunning"は、「スタン状態を付与する(失神させる)」の意味であって、賛辞の「素晴らしい」ではない。プロファイルなしで訳したほうは賛辞の意味を取ってしまい、「素晴らしいコンボ」になった。こちらのパイプラインは「これは戦闘ステータスを付与する技群のひとつである」という周辺情報を持っていたので、語義を正しく解いて「失神連撃」を選べた。ヴィクトルの一行目で見た「犯した」→「ふんだくった」と、原理はまったく同じである。失敗したときの重さこそ違うが、内側で動いているのは同じ仕組みだ。
1905年のワルシャワに立つ墓碑銘 ── 語ではなくジャンルを揃える
EN: Here lies Jan Chmielec, our dear friend, / In 1891, he met his end. / What he is now lies deep below. / What he was, ask not.
JP (Prev): ここに、私たちの親愛なる友人、ヤン・フミエレツが眠っています。 / 1891年、彼はこの世を去りました。 / 彼が今どうなっているかは、心の奥深くに眠っています。 / 彼がどんな人だったかは、(問わないでください)
JP (New): ここに眠るは我らが友、ヤン・フミェレツ。 / 一八九一年、その生涯を閉じる。 / 今あるは、地の下に深く伏す。 / かつてあった姿は、問うことなかれ。
これは1905年のワルシャワで、墓石に刻まれた詩である。上の段はそれを丁寧な散文として読んでしまっている。「ここに、…が眠っています」は、博物館の説明プレートに書かれていそうな文の組み立てだ。下の段は「これは墓碑銘である」と知ったうえで書いている。「ここに眠るは…」は墓碑に特有の倒置、「一八九一年」は碑文に刻むときの旧字数字、「〜なかれ」は古い禁止の言い回し。中身は同じでも、世界のなかに置かれる物としてはまったく別物になる。
コーデックスの一節 ── 時代に合った語彙を時代に合わせて並べる
EN: We got to the Tsarevich's birthday ball, got our bearings and, drawing barely any attention, made it to the emperor's private chamber. We managed to convince him to support our demands…
JP (Prev): 私たちは皇太子の誕生日パーティーに忍び込み、状況を把握した後、ほとんど注意を引かずに皇帝の私室にたどり着きました。私たちは彼に私たちの要求を支持するよう説得することに成功しました。
JP (New): 我らはツェサレーヴィチの誕生日舞踏会に潜入し、状況を把握し、ほとんど注目を引くことなくツァーリの私室にたどり着いた。彼を説得し、我らの要求への支持を取り付けることに成功した。
「皇太子」(現代の一般的な世継ぎの語)が「ツェサレーヴィチ」へ(ロシア帝国における皇太子の正式な称号)。「誕生日パーティー」が「誕生日舞踏会」へ(1905年のロシア宮廷の行事は「パーティー」ではなく「舞踏会」のほうだ)。「皇帝」が「ツァーリ」へ(ゲーム内の他の語彙と揃える)。「私たち」が「我ら」へ(文語ふうの一人称複数)。さらに〜ましたから〜たに揃え、ヴィクトルが手記を書いている声に寄せている。同じ段落のはずなのに、置かれている時代がまるごと別になっている。
アイテム説明 ── 一行のラベルの中で時代を保つ
EN: Dark pewter pants are an indispensable part of every modern gentleman's wardrobe.
JP (Prev): ダークピューターパンツは、現代の紳士のワードローブに欠かせないアイテムです。
JP (New): 濃いピューター色のズボンは、現代の紳士の衣装箪笥に欠かせぬ一着である。
短い一文のなかで、語彙の置き換えが五箇所同時に起きている。ダーク→濃い、パンツ→ズボン(時代に合うのはこちらで、現代日本語の「パンツ」は下着の意味でも普通に使われる──アイテム名としては事故の元である)、ワードローブ→衣装箪笥(家具としての衣裳棚を指す古い語)、アイテム→一着(衣服を数える助数詞)、〜です→〜である(アイテム説明の散文に合う随筆調の結び)。
実績名 ── 形を保つことで、冗談を保つ
EN: Not My Clay, Not My Problem
JP (Prev): 私の土じゃない、私の問題じゃない (問題に関与したくない)
JP (New): 我が粘土にあらず、我が問題にあらず
上の段は字義どおりに訳したうえで、わざわざ注釈として「問題に関与したくない」と説明を添えてしまっている。注釈を付ければ意味は通るが、それは翻訳ではなく解説だ。下の段は「Not my X, not my Y」の対句構造を保ったまま、「我が…にあらず」(古い否定)で結んでいる。実績名そのものが、ことわざのような響きを保つ。冗談が生き残るのは、語ではなく形が残ったときである。
同じように、文脈を踏まえた書き直しは、チュートリアル、状態異常の説明、用語集、人物紹介、新聞記事、アイテムのフレーバーテキストなど、台詞ではないテキストの随所で起きている。MOD全体の行数で見ると、台詞ではないテキストが6割ほどを占める。一行ごとの差は小さい。それでも、それが積み重なった結果として、プレイヤーが歩く世界は「現代のUIを日本語に置き換えたもの」ではなく、「1905年のワルシャワ」として読めるものになる。
関連記事を一本。ポーランド語が教えてくれたことでは、同じMODをポーランド語原典と照らし合わせ、英語を経由したことで日本語まで運ばれてくるあいだに何が静かに削られていたかを書き留めている。同じパイプラインから出発して、別の問いを掘った記録である。
全体として、結局のところ何が起きていたのか
8人の登場人物を通して見えてきたパターンは、最後までずっと同じだった。ソース文字列は動かない。だが、それを「誰が言っているのか」をモデルが知っているかどうかは、毎行のように動く。先に出たMODは、コーパス全体を「平らな対話」として扱った。当時の道具立てを考えれば、それは十分に筋の通った選択である。後発のMODは、一行を「あらかじめ語り口の決まった、特定の人物に属する一行」として扱うところから出発した。
一行ぶんの差は小さい。だが、三万行を経たあとには別物になる。ヴィクトルが「僕」を一千回口にし、ワンダが「あたし」を三百回口にし、ラスプーチンが「〜のじゃ」で文を閉じるのを百回耳にしたあと、登場人物たちは「ひとつの初期設定の声を、それぞれ少しずつ変奏した人々」ではなく、はっきり別の輪郭を持つ別々の人間として立つようになる。スカロンとラザレフの対比は、その動きが単発でもっとも鋭く出ている例だ。同じ制服、まったく別の声。これは、プロファイルが「この二人はそれぞれこう喋る」とモデルに伝えていたからこそ生まれる差である。
このやり方は、コストが前払いになる。39人ぶんのプロファイルを書き、用語集を整え、シーンごとの文脈を毎回モデルへ渡せるようにする──その労力は、最初にまとめてかかる。一方の見返りは、一行ごとに少しずつ生まれる。だが、どの一行を切り出しても、それ単体ではたいした話にはならない。見返りが姿をあらわすのは、最後の段階である。プレイヤーがゲームのなかを歩き回ったあと、「ここに出てくる人たちは、本当に別々の人間なのだ」と感じる──そのときの感触として、ようやく形になる。
執筆時点のMODバージョンは v1.2.4(現行リリース)。本記事を書きながら見つかった派生的なQAとして、このバージョンでは外国語タグ(<fr>/<ru>/<ar>/<yd>)の中身を、カタカナ転写ではなく原語のラテン文字/キリル文字/ヘブライ文字に揃える正規化も併せて入っている(45件)。