AIを活用したファン翻訳プロジェクト
英語経由で作った日本語訳を、原典のポーランド語と照らし合わせてみたら、英語版が静かに削っていた160のものが見つかった話
『The Thaumaturge』はポーランド産のゲームだ。制作はヴロツワフのFool's Theory、販売はワルシャワの11 bit studios。舞台は1905年のワルシャワで、シナリオはまずポーランド語で書かれている。だからプレイヤーが目にする英語のテキストもまた、すでに一度通訳された言葉なのである。私たちが今回の日本語化MODの底本に使ったのは、その英語版のほうだった。
ということは、日本語版は「翻訳の翻訳」ということになる。MODが完成したあと、ふと気になった。ポーランド語から英語へ移し替えられる過程でこぼれ落ちたものを、私たちはそれと知らないまま、日本語まで運んできてはいないだろうか。そこで、影響の大きそうな2,678行を選び出した。コーデックス、ジャーナル、書物アイテム、キャラクター名、アビリティ説明──このあたりは、もし誤りがあれば一番痛いところだ。英語の原文、現行の日本語訳、ポーランド語の原典。この三つを並べてClaude Sonnetに読ませ、引っかかったものはすべて記録した。
結果は160件。多くは小さな話だったが、いくつかは見過ごせなかった。
指摘を眺めてみると、思いのほかきれいに、いくつかのパターンに分かれた。同じ種類の「ずれ」が、別々の場所で何度も繰り返されていたのである。
今回もっとも面白かったカテゴリー。24件の多くは、アイテム名やコーデックスの見出し、書物アイテムなどに潜んでいた。ポーランド語の文章には、ポーランドの歴史・文学・地下文化への目配せが網の目のように仕込まれている。英訳者はそれを汲み取って訳し直すか(難しい、しばしば不可能だ)、ならして通り過ぎるか、その二択を迫られる場面が多い。実際にはほとんどがならされていた。
同じカテゴリーには、ほかにも例が転がっていた。pączki(ポーランドの伝統的なジャム入り揚げ菓子)が英訳で"doughnuts"になり、日本語ではアメリカ風リングドーナツへとすっかり姿を変えていたこと。wędliny(ポーランド独自の塩漬け・燻製肉のカテゴリー)が無味な"cooked meats"にならされていたこと。mizeria(サワークリーム和えの伝統的なキュウリ料理)が、ただの「キュウリのサラダ」に縮んでいたこと。mordownia(地下の血なまぐさい闘技場を指す犯罪者のスラングで、字義は「屠殺場」)が、当たり障りのない"Secret Fighting Ring"にぼかされていたこと。
言葉狩りを風刺する一節では、原典のnauczycielki(女性教師たち)が英訳で"waitresses"(女給たち)にすり替えられていた。これによって、20世紀初頭のポーランドにおける「女性のアカデミア進出」をめぐる議論への目配せが消えていた。Stara Baśń(クラシェフスキが1876年に書いた、ポーランド国民文学の礎のひとつとされる歴史小説)は、英訳で「An Ancient Tale」というごく一般的な書名へと均されていた。
とりわけ象徴的だったのが、Meta, Seta i Lornetaというポーランドの三段重ねの酒場ジョークである。英訳では無関係な英語慣用句「Lock, Stock, and Barrel」が宛てられ、日本語版はそれをそのまま「ロック・ストック・アンド・バレル」とカタカナに写していた。日本語の側だけ見ると、なんのことだかさっぱりわからない仕上がりになっていた。
以上のうち11件は今回のリビジョンで反映した。残りについては、後段でまとめて触れる。
19件。もっとも具体的で、誰が見てもわかりやすい部類のミスだ。英語版が一文を丸ごと落としていたり、構造を組み替えた結果として意味が変わっていたりするケース。とくに目を引いたものを二つ挙げる。
ほかにも細かな修正をいくつか入れている。ポーランド原語でWTAと表記されていたゲーム内組織が、英訳ではWASになっていた件は、ポーランド側に揃えた。英訳には「the WAS is no more(『WAS』はもう存在しない)」という時制の言葉遊びが仕掛けてあるのだが、この遊びはどのみち日本語には運べない。それなら原典の表記に揃えたほうが筋がいい。
Młody(「若い」を意味するポーランド語)がヴィクトルとアバウリツィの少年期キャラクター名に対して「幼少期の」と訳されていた件は「若き」に直した。実際の年齢層は十代後半なので、「幼少期」では小さすぎる。
19世紀ポーランドの有名な愛国スローガンZa wolność Waszą i Naszą(「汝らの自由と我らの自由のために」)は、日本語訳のなかで語順が逆になっていた。歴史的に定着している引用順に戻した。
Kurjer Codziennyは当時実在したワルシャワの日刊紙だが、英訳では一般名詞めいた「Polish Gazette」になっていた。固有名詞として扱い直した。こうした構造寄りの修正を、計11件適用している。
該当は2件。どちらも、きれいに意味が裏返っていた。
27件。今回最大のカテゴリーである。ポーランド語には、職業や軍隊の階級について時代色の強い語彙が多くある。そうした語が英訳の段階で一般的な対応語に置き換えられた結果、社会階層がひとまわり上にずれたり下にずれたりしていた、というケースが続出していた。
ほかにも例を挙げきれないほどある。Sanitariusz(軍の衛生兵)は「医者」になっていたので「衛生兵」に戻した。Aspirant(警察の下級階級)は「Inspector / 監察官」へ昇格させられていたので「警察候補生」に降ろした。Subiekt(時代特有の小売店員)は「事務員」になっていたので「店員」に。Porządkowy(イベントの案内係)が、なぜか「当番兵」(軍属の従卒)と訳されていたのを「係員」に直した。
Szmugler(一般的な密輸業者)が「密造酒造り」になっていたのは、英訳の段階で「moonshiner」と限定して訳されていたのを引き継いでいたからだ。アルコールに限る理由はどこにもない。Szeptucha(呪文をささやくスラヴ系の民間治療師)が「賢者の女」になっていたのを「ささやき女」に置き換えた。Absztyfikant(求愛中の男性)は「崇拝者」と訳されていて、宗教的な信奉者を思わせる響きになっていたので「求愛者」に。Mundurowy(制服を着た人物)が「民兵」になっていたのを「制服警官」に戻した。
こうした役職・階級系の修正を、計24件適用している。
ポーランド語には文法的な性がある。英語にはほぼない。日本語は、語によってあったりなかったりする。原典では明示されていた性別が、英語を経由した時点で消え、日本語に届くころにはさらに薄れている──今回繰り返し見えたパターンだ。11件の指摘のうち、明らかな誤りとして直したのは2件。
残る9件はすべて女性形の職業名だ。Klientka「客」、Handlarka「商人」、Imprezowiczka「パーティー参加者」など、ポーランド語の女性語尾が英語の中立化と日本語の中立化を経て、二段階で消えていた。とはいえ、ゲーム内のキャラクターには立ち絵があり、女性であることは絵を見ればわかる。あえて「女客」「女商人」と書き直すと、絵で伝わっているところに言葉で性別を重ねて押すことになり、かえって不自然である。これらは保留にして、無理に直していない。
ポーランド語と日本語のあいだに違いがあるからといって、それがすべて誤りなわけではない。いくつかのパターンは、こちらが意図的に「変えない」と判断したものだ。
ポーランド語の通り名は、音そのままカタカナに写した。たとえば中国語版はBednarska Streetを意味で訳し、「木匠街」(大工通り、の意)としている。一方こちらは「ベドナルスカ通り」と音写を選んだ。ポーランド語の読者が感じるあの外国語特有のリズムを、日本のプレイヤーにも同じ手触りで届けたかったからだ。意味で訳すという中国語版のやり方も、それはそれで筋の通った選択である。両者は単に翻訳の哲学が違うにすぎない。
WASではなくWTAを選んだ──持ち込めなかった言葉遊びの話。英訳では、ゲーム内の組織の略称が、ポーランド原語のWTA(Warszawskie Towarzystwo Antythaumaturgiczne)から、英語のWAS(Warsaw Anti-thaumaturge Society)に変えられている。これは明確な意図があってのことで、コーデックスのある一文「The WAS is no more.」が、英語では「『WAS』(過去形)はもう存在しない」という時制の駄洒落として効くようになっているのだ。見事な細工である。
しかし、この駄洒落は日本語にはどうしても運べない。それならむしろ、ポーランド原語の命名にそろえたほうが筋がいい。そう判断して、日本語版ではWTAを採用した。英訳チームの技そのものには敬意を持っている。ただ、こちらの土俵では再現できなかった、というだけの話だ。
深すぎる参照は、運び入れること自体を諦めた。シェンキェヴィチの座右の銘も、クラシェフスキの小説への目配せも、『シオン賢者の議定書』のパロディも、見つけたものはすべて記録した。だが、日本語に直したときに日本人プレイヤーが具体的に何かを受け取れるものだけを「修正」と数えている。シェンキェヴィチの名を知らない読者に向けて19世紀ポーランド文学の引用を匂わせる訳語を仕込んでも、それは届かない。むしろ重くなるだけだ。「心の糧となる」と訳して感覚だけを残し、脚注は付けない。今回はそういう判断を取った。
だいたい、三つある。
ひとつ目──英語経由で訳す以上、英語という層が持ち込む歪みは避けられない。今回、キャラクターごとの語り口を定義したプロファイル、用語集の管理、相互チェックといった入念なパイプラインを敷いたうえで約3万行を翻訳した。それでもなお、英語そのものが静かに運び込んだ160件の脱落を、日本語側からは見つける術がなかった。原典にあたらないかぎり、英語の層が加えた系統的な歪みは見えない。今回の作業で痛感したことだ。
ふたつ目──失われ方には偏りがある。脱落はランダムには散らばらず、いくつかの特定領域に集中していた。文化的引用、専門語彙(とりわけ階級・役職・職業)、英語側に存在しない文法的特徴(性別)、それから極性が反転しやすい慣用句。あらかじめパターンを知ってさえいれば、的を絞って監査することはできる。
みっつ目──原典との構造化された比較をLLMに任せるのは、本当に有効である。このプロジェクトに、ポーランド語をネイティブレベルで読める人間は一人もいない。それでも、英・日・ポの三言語を並べ、「意味の明確な誤りだけを拾え。文体の違いは無視しろ」という具体的な基準を与えてClaude Sonnetに通したところ、人間チェックでは絶対に拾えなかった指摘が次々と返ってきた。LLMは翻訳者の代わりにはならない。だが「三言語を読み分けられて、時給制でドリフトを探すために雇われた第二読者」という、それまで存在しなかった役柄なら担うことができる。今回の用途には、まさにぴったりだった。
追伸──他の言語でも同じ作業をやるべきか。おそらくドイツ語はやる価値がある。ドイツ系の食肉文化、ツァーリのドイツ系宮廷、ルター派キャラクターなどに固有の語彙が眠っているはずだ。ロシア語にも意義はある。ツァーリ本人、ラスプーチン、オフラナ(帝政ロシアの秘密警察)と、中核の登場人物が並ぶからである。ただしロシア語のコンテンツ大半は、ゲーム内で<ru>タグによってコードスイッチング片として原語のまま残しているので、ドイツ語ほどの危険性はない。スペイン語・フランス語・イディッシュ語については、対象表面積が狭すぎて費用対効果が見合わない、というのが現時点の判断だ。
MODに適用したのは55件。現行リリースのv1.2.4に反映済みである。残り105件は、ひととおり目を通したうえで「あえて適用しない」と判断した。未着手の課題リストではなく、意識して選び取った結論である。
内訳はだいたいこんな感じだ。
全160件は、英語ソース・ポーランド語ソース・現行日本語・提案日本語・問題の要約をまとめた注釈付きリストとして、開発側に残してある。この記事を公開している理由のひとつは、ここまでの判断を読める形で外に出しておきたかったからだ。ポーランド語に通じた方がいつかこの記事を読み、特定の判断に異論を持たれることがあったとしても、それが見落としではなく考えた上での結論だったと、すぐにわかるようにしておきたい。